超小話集
年の瀬21
眠りに就こうと俺が目を閉じるのと同時に部屋のドアが開いて、何事かと思えばダンテがずんずんとやってきて何も言わずにベッドの中に入ってきた。反射的に左に寄ってスペースを空ける俺を追うように彼も寄ってきて、相変わらずの無言だが珍しく、珍しく彼自ら抱きついてくる。それきり動かなくなってからしばらく、眠ってしまったのかと思いきや口を開いた。
「…あたたかい」
不躾な乱入とむしろ不貞腐れたような声のダンテに、そうだな、と相槌を打って俺は抱き返す。こうしていると、どんなに温かくても温かすぎることはないものだと思う。
「あんた、たいした男だよ」
ダンテが不意に顔を上げた。いきなり何を言い出したのかその表情は暗くてよく見えないが、ひとまず褒められているのだろう。
「それは光栄だ」
「違う。…ありがとうって言ってんだよ」
そう呟くと再び俺の胸に額を押し付けて黙ってしまった。何を、と訊きたかったがおそらく答えは返って来そうになく、そのかわり胸元が少しだけ熱を増した気がして少し笑うと、軽く腹を小突かれる。人は嬉しい時自然と笑うものなのだな、と他人事のように思いながら強く抱きしめてやれば、苦しくなったのかダンテはもがくように顔を出した。その彼に向かって俺は言う。
「礼を言うのはまだ早いんじゃないか?」
するとダンテは少し考えてから、
「…よろしく」
「こちらこそ」
すかさず答えてやると、俺の顎の下で微かに笑う気配がした。
屋上21
干すだけ干して誰も取り込もうとしない忘れられた洗濯物を思い出したのは、太陽どころか月が高く昇っている頃だった。気づいたからには仕方なく俺が屋上に出て、男所帯の色気の無い衣類を回収してやる。そうしながらふと吹いた冷たい風につられるように見上げれば、思いのほかくっきりと澄んだ空があった。これが昼なら雲一つ無い青空と言ったところだろうが、夜ならこんな満天の星空となるんだから便利なものだ。何気なく腰を下ろし、大の字に寝転がってぼんやり見ていたら誰かが屋上の扉を開ける気配がした。
「…どうした。転んだか」
冗談めかした台詞にそぐわぬ静かな声とともにやって来たそいつに、俺は大袈裟な溜息をついてみせる。
「ロマンチックな夜を台無しにする台詞だぜ」
身を起こす俺の隣に腰掛けた奴は「おや」とわざとらしくとぼけ、
「俺が隣にいるのにロマンチックではないと?」
さらりと言いやがる。クールなふりして歯の浮くような台詞を言えるツラの皮の厚さは俺ですら尊敬するほどだ。
「たいした自信だな」
「ただの願望だ」
よく言うぜ。あんたにそんなこと言われて平然としていられるのは俺くらいのもんだからな。と言いたいところだけど、面白がらせるのも癪だから黙って星を眺める。いや、そもそも天体観測をしにここへ来たんじゃないと本来の目的を思い出し、あんたも手伝えと促して立ち上がろうとしたら「もう少し」と引き止められ、もうしばらくそこに座って二人で話をした。ロマンチックな話なんかこれっぽっちも無い。だけど誰より居心地がいい。それが一番じゃないか?
どうせ頷くに決まってるだろうから訊かないけどな。
待ち合わせ21
飯でもどうだと家に電話をして初代はぼんやりとベンチに座っていた。空を見上げても今夜は星は見えないが、そのかわり飲み屋や如何わしい店の明かりが夜更けに一層活気を増しつつある。
しばらくして初代は立ち上がり、店の喧騒を背にして少し開けた広場に出る。その中央で街頭に照らされながら立っている偉い誰かの像をなんとなしに眺めていると、気づけば僅かだが背後に気配を感じた。予想より随分と早い到着に油断していたせいで、振り向こうとした時にはすでに後ろから伸びてきた腕に抱きしめられた。
「安心しろ、誰も見ていない」
口を開きかけた初代に先んじて二代目が答える。出す前に封じられた文句を飲み込んで初代はわざと小さな舌打ちをした。
「俺の心を読んだのか?」
腕を解いて振り向けば、いつもの澄ました顔がある。
「読めれば苦労はしないんだがな」
そう言ってひょいと肩を竦めて見せた。
どこがだ。苦労しているようには見えないが。
いつも飄々としている男に対して胡散臭そうに目を据わらせる初代の顔を見て、当の二代目はくすりと笑う。
「どうやら俺たちはもっと互いを知る必要がありそうだな?」
白々しい調子で言いながらさり気なく彼の肩を抱くも、すぐにそれは初代によって引き剥がされた。
「どうだか。俺もあんたも、口下手だろ?」
いつものように軽口を叩いて先に歩き出す彼の背に、そうだな、と二代目は愉しそうに微笑んで後を追う。
『口下手』な彼らは、初代からの電話に二代目が気をはやらせて駆けてきたことも、それを待つ間中に初代が二代目を想っていたことも、互いに伝えるわけなどなかった。
がらくたと21
未だかつて掃除などした記憶のない部屋は、埃のほかに得体の知れないがらくたで溢れていた。物置となっているこの部屋を自らの寝室とすべく、四代目は傍らのダンボールに次々とそれらの「ゴミ」を放り込んでいく。呪いのナイフだとか死のダイヤだとか呼ばれた類の、仕事の過程で手にしたそういうオカルトめいた品が一緒くたにされてここに保存という名の放置を受けており、その多くが四代目も見覚えのあるものだが、たまに出てくる見知らぬものは念のため横で暇そうに部屋を見回している家の主に確認していった。
「これは?」
「いらん」
「これも?」
「全部いらん」
といったように、ほとんど訊いても無駄な作業ではある。このようないわくつきとされる、つまり悪魔的な力が宿るといわれるものがダンテのもとに持ち込まれることは多々あるが、その殆どは人間の思い込みや迷信で色をつけられただけの真っ白な「偽物」だった。それでも念のため受け取り、投げっぱなしにしているうちに忘れてしまうのが常である。
「お、これは?」
四代目が手にしたのは掌に収まるくらいの小さな鏡だった。一見すると質素な鏡だが縁には古風な細かい装飾が施されていて、その古めかしさのわりに鏡面は磨かれたばかりのように輝いている。
「これは…」
何か思い出したのか二代目は受け取った鏡をしげしげと眺めた後、面白そうに顔を上げた。
「悪魔の鏡、と言われていたものだ」
「ありがちだな。覗くと悪魔が映るとか?」
「いいや。これを気づかれずに相手の懐に忍ばせると、願いが通じるんだそうだ…悪意でも好意でも、な」
「そりゃすごい、小学校で流行りそうな遊びだ」
全くすごくなさそうに言いながら四代目はそのがらくたを処分すべく受け取ろうとしたが、二代目は軽くかわす。
「せっかくだから捨てる前に試してみよう」
「試すって…」
誰に、と言いかけた四代目はすぐに聞くだけ野暮かと閉口した。この二代目が積極的な行動を起こす相手は一人しかおらず、それを肯定するように彼はにやりと笑うと踵を返して部屋を出て行ってしまう。そもそもすでに通じ合っている相手に仕掛けてどうするんだと思いつつも、この家、殊にあの二人の間ではそんな無意味な遊びは日常茶飯事なため、四代目はやれやれと一息ついて作業を再開した。
「悪魔の鏡はどうなったって?ありゃただの鏡だ、なんの効果もないさ。ま、翌日ボスがわざわざ説明した時の初代のバレバレな照れ隠しを見るに、使い方としては正しいのかもしれないな。それより、ようやく俺の寝床が確保されたことのほうがめでたいと思わないか?」
まどろみ21
今日は殊に快晴だった。大袈裟に言うなれば世界はかくも明るいものかと思うほどの惜しみない陽光である。四人の男たちが暮らす家で最も早くこの朝を迎えた二代目は、苺のジャムとバターをたっぷり塗ったパンを齧りながら窓の外やそこから注ぐ光の帯を眺めた。その麗らかな朝は無精な男に珍しく家庭的な仕事を思い立たせるに十分であり、朝食を終えた彼は家中の窓という窓、まだ寝ている同居人たちの部屋にも遠慮なく立ち入ってそれを開けて回った。次は奴らが起き次第溜まっている洗濯を片付けよう、と二代目は一杯のコーヒーを淹れて一息つく。時折吹き抜ける風がろくに掃除もしない家の埃を舞い上げるが、もとよりそれを気にするくらいならとっくに掃除している。
やがて家人の一人が二階から降りてきた。
「なんだよ二代目、今日は学校は休みだぜ」
普段着とさして変わらない半裸の若者は、眠たげな目を擦りながら器用にもジョークと欠伸を同時に口にする。なら宿題を出してやろうか、と二代目が返すのを軽く手を振って遠慮しつつ三代目はバスルームへ入っていった。
二代目は再びコーヒーを啜る。しばらくするとまた一人起きてきた。
「おはようさん、いい天気だな」
先ほどの若いのとは違い身なりを整えた四代目は朗らかに挨拶を交わし、そのまま冷蔵庫に直行して朝からアイスクリームを食べ始める。
しばらく雑談などしながら最後の一人を待ったが一向に来る気配が無く、コーヒーを飲み終えたところで二代目は洗濯籠を持って二階へ向かった。各部屋を回って乱雑に脱ぎ捨てられた服やシーツを回収し、最後にまだ起きていない初代の部屋へ赴く。当然彼はベッドに伏していたが、二代目が窓を開けに来た時と違っていたのは、どうやら一度は起きようとしたらしく上半身の毛布は既に払われていた。それでも未練がましく枕を抱え込んで転がっていた初代は、誰かの気配に気づいて軽く頭を上げる。
「寝坊助」
二代目が言うと返事をするように呻いてまた伏した。
「だって風が気持ちいいんだよ」
誰かさんが窓開けてったおかげでさ、と付け足すのも忘れない。
ふわりと風が通った。何とはなしに二代目は抱えていた籠を置いて初代の隣に一緒になって寝転がってみる。自身のベッドに侵入してきた者を咎めることもなく初代は「な?」と寝ぼけ眼を向け、そしてまた閉じた。
柔らかな風に撫でられ、すぐ目の前には幸せそうな顔をしてまどろんでいる恋人がいて、確かにこの心地好い魔力の前ではさっきまで摂っていたカフェインも気まぐれに起こした家事の意欲も敵いそうにない。まあいいか、と二代目は身を委ねることにした。こんな天気のこんな朝もまた悪くない。
もう少しだけ近くに身を寄せて、見れば初代は既に夢の中にいる。彼の小麦色の肌にさわさわと長い銀髪をそよがせる風は、微かな夏の匂いがした。