元の世界
珍しい来客にその場にいた全員の目が向けられた。好奇の視線を一身に浴びるバージルは表情ひとつ変えずつかつかと家の中に入ると、ソファでポップコーンを奪い合って食べていた実の弟とその上の弟の前を通り過ぎ、一番上の弟の座る机の前に立ちはだかる。
「…よく来たな」
真っ直ぐに向かってきた年下の兄に少々面食らいつつも、そんなことはおくびにも出さず二代目が静かに迎えた。しかしバージルは無言で手にしていた物を机の上に放り出す。つられて二代目が視線を落としたそれは、ぼろぼろで薄汚れた一冊の本――正確に言えば、かつては本だったのであろう紙片を集めて束ね直したような代物だった。表紙は穴だらけに破れてタイトルが全く見えなくなっている。
「手土産とは気が利くな」
「なになに?」
「食い物か?」
ポリポリとポップコーンを頬張る音を立てながら他の二人も集まってきた。バージルはあるページを開いてみせる。
「なんだこれ。なんとか…魔…しき…?」
紙面には何やら魔方陣のような奇妙な文様が描かれているが、肝心の文字は消えたり破れて読みにくくなっており、三代目は首を捻った。バージルを挟んで隣の初代も、あんまり碌なもんじゃねえなと勘付きつつもとりあえず文字を追う。
「なんとか魔…の、式…儀式か?」
初代の言葉にバージルが頷いた。
「そうだ。元の世界に帰る方法が見つかったかもしれん」
「ええ!」
驚愕の声を上げる一同を見て、バージルはフンと得意げに鼻を鳴らす。
「ここに書かれているのは悪魔を呼び出す儀式。言い換えれば、魔界への道を開く方法だ。魔界から悪魔を呼べるならこちらもその道を通ればいい」
「ぶふっ!いやいやバージル、こんな胡散臭いオカルト本信じてんぐふっ」
「オカルト止まりでわざわざこんなところへ来ると思うか」
三代目の顔面にバージルの拳がめり込み、初代が呆れた顔をした。
「まさかお前、試したのか?」
「当然だろう。だいぶ改良はしたがな」
「当然…って。相変わらず危ねえ奴だな。よく今までお前討伐の依頼が来なかったもんだぜ」
「…それで、どうだったんだ」
破かないよう慎重に紙をめくっていた二代目が口を開く。この怪しげな本がただのインチキではないと言う割にはバージルはまだ断言しておらず、わざわざ親切に見せに来てくれただけとも思えない。
若きダンテたちやバージルが別の時間軸である二代目の世界に迷い込んだ原因ははっきりしていないが、全員魔界を経由しているという共通点はあった。そのため元の世界に帰るには魔界に何かしらの手がかりがあるのではないかという認識にはなっているものの、勿論行ったところでどうにかなる保証はなく、何より魔界などそうそう行けるものではない。二代目をはじめすっかり今の状況に馴染んでいるダンテたちはそれほど積極的に探すことをしていないが、バージルだけは真面目に帰ろうと模索していた。
「成功はした。が、歪みは僅かだ」
「と言うと?」
「ゴミとも呼べないようなクズが召喚された。確かに魔界と通じることはできるようだが、到底干渉できる規模ではない」
「結局ダメかよ」
どうやら魔界への「穴」はごく小さいものだったらしい。三代目は諦めてポップコーンを口に運び始める。
「おい、そのクズはちゃんと始末したんだろうな?」
初代の問いにバージルは当たり前だと言い捨てた。たとえクズだろうとカスだろうと邪魔なものに容赦しないのはバージルも同じだ。
「ふむ…一方通行か。残念だったな」
ちっとも残念でなさそうに二代目は頷くが、バージルは「まだ話は終わっていない」と制して続ける。既に他の二人は興味を失ってソファに戻っていった。
「おそらくこれは術者の魔力に左右される。元々ここに書かれているのはせいぜい手品程度のものだが、俺がやればクズだろうが実際に召喚できた。なら、貴様がやれば…」
「クズをもう1つ無料プレゼントってか」
極めて軽い口調で言葉を繋げた三代目の横で初代が吹き出す。バージルはじろりと実弟を睨み付けると同時に一本の幻影剣を放つが、三代目が素知らぬ顔でガードしたポップコーンカップに突き刺さっただけだった。
「なるほど。話は分かったが…お前の期待通りにいく可能性は低いな」
むしろ三代目の言う通りになるだろうと二代目は言い含める。しかしバージルは譲らない。
「やってみなければ分からん」
「やると思うか?」
「……」
あくまで口調は柔らかいが、二代目の言い知れぬ圧迫感はバージルの口を閉ざすに充分だった。ナンバーワンが動かないとなると――バージルは無言で向きを変え、今いる中では二代目に次ぐ実力者に目をやるが彼もまた肩を竦める。
「ランプの魔人でも召喚できたら呼んでくれ」
「貴様、帰る気がないのか」
「理由がなんであれ魔界を開こうなんてやめときな。そういう奴を張り倒すってんなら俺たちの仕事だがな」
その横では三代目がわざとらしく胸元のアミュレットを隠してみせた。
全くやる気を見せない弟たちにバージルは忌々しげに眉根を寄せる。彼らがいつまでもこの非現実的な状況を打開しようとしないことがバージルには理解できなかった。帰りたくないというのではないらしい。帰れるようになったら帰る、ここへ来たくて来たわけじゃないように帰る時もなるようにしかならないと考えているらしいが、それが明日なのか何十年先なのかも分からないのによくもそんな悠長に構えていられるものだと呆れる言葉すら最早出てこない。
こいつらと話をしようとした自分が馬鹿だった、とバージルは二代目の手から本をむしり取るように奪うと踵を返し、後ろで呼び止める声を無視してさっさと事務所をあとにする。
「…変な塔でも建てなきゃいいが」
年若い兄の背を見送った初代が少し心配そうに呟くが、
「どっちにしろやることは変わってないな」
という三代目の言葉に大人達は「確かに」と頷いた。
「執念深いからなー、案外本当に魔界への穴ぶち開けたりしてな。また妙な考えやらかすなら止めるまでだけど」
「お前、止められんのかよ?勝敗いくつだ」
初代の疑惑の目に三代目はあからさまな膨れっ面を向ける。バージルと三代目が日常的に殺し合いのような喧嘩をしているのを知っての発言だが、同時に二人の実力が拮抗しているのも周知の事実だった。
「勝てる」
「勝率六割くらいじゃ断言はできねえぞ」
「うるせえ!そう言う初代こそどうなんだよ、帰れるっつったら帰るのかよ?」
勢い込んで言った直後に三代目は心の中で「しまった」と臍を噛んだ。初代に対して「帰るのか」という質問はすなわち「二代目と別れるのか」という意味になる。当人同士で話し合っているのかは分からないが、二人の関係を知っている第三者には触れづらい話題であることは確かだった。案の定、一度口を閉ざした初代は声のトーンを落とす。
「…その時はその時、だ」
「……」
帰るとも帰らないとも言わないその返事に彼の本音が表れていて、さすがの三代目も押し黙った。
いくら大切な人がこの世界にいても、やはり自分のいた世界を放っておくことに迷いがないわけがない。正義感にも似たそのような性根は同じ「ダンテ」である三代目にも容易に理解でき、だからこそ当の二代目がいる今ここで訊いてしまったことを後悔した。しかしここで謝ったら謝ったでますます抉ることになりそうだし…と気まずい空気に三代目がそわそわしている中、それを見越したように「ふむ、」と二代目の暢気な声が沈黙を破る。神の助けとばかりに三代目が振り向くと意外にも二代目は穏やかな表情を浮かべていた。
「過去に行ってみるのも悪くない」
ふ、と目を細め、三代目の隣に座る恋人を見て言う。
つまり…どっちにしろ、離れる気は毛頭ない。一瞬遅れてそう得心した三代目が横を見やれば、同時に明後日の方向を向いた初代がどこか呆れたようなふて腐れたような、より正確に言えば照れ隠しに失敗している顔で小さく舌打ちをした。