流星群

 別段急ぐわけでもなく、しかし確実に足を我が家に向けて二代目は夜の道を辿っていた。昨日の朝に通った時とは打って変わってすっかり闇に包まれ街灯だけが浮かぶ風景は、ここがあまり来たことのない土地であることを抜きにしてもまるで初めて見る道のような感覚になる。自分以外に道を歩く影がないわけではないとはいえ、深夜になるほど集うスラムとは違い、辺りは静かなものだった。
 そうして次第に民家が増える道を少し足を速めて歩いているうちに、二代目はふとあることに気がついた。道端で立ち止まっている人がちらほら目につくと思えば、彼らは一様に空を見上げているのだ。真夜中にも関わらず若い女性やカップルや、中には寝間着姿の子供までもが外に出てきている。今の天候はといえば何か降っているわけでもなく、空にそれほど変わったものでもあるのかとつられて見上げてみてもそこには何もなく、敢えて言えば空を覆う雲が見えるばかりで二代目はすぐに視線を戻した。悪魔でも飛んでいるならまだしも、そうじゃなければたとえUFOが来ていたって興味はないのだ。

「あー、そういえば流星群がどうとかラジオで言ってた気がするな」
 ほどなく家に帰った二代目から話を聞いた初代は退屈そうに雑誌を弄んでいた手を止めて言った。相変わらず机の上にピザの箱を積み行儀悪く脚を乗せて電話番をしていたらしいその男もさして興味はないようで、もうすっかり冷めていそうなピザを口に運ぶ。その後ろで自分の装備を解きつつ、二代目は「そうか」といつもの相槌を打った。
「なるほどな。それで合点がいった」
「で、見えたのか?」
「いや、生憎曇り空だ」
 そういえば見上げていた人々も心なしか落胆しているような顔が多かったな、と二代目は少し前に見た光景を思い出す。自身は今知った程度の情報でも、きっと多くの人にとっては楽しみにしていたイベントなのだろう。
 するとピザを食べ終えた初代が徐に立ち上がったかと思えば、そのまますたすたと扉の方へ歩いて外へ出て行った。
 興味がないなりに試しに見に行ってみたのだろうか。結果は分かっているが特に何をすることもないから二代目も少し遅れてその後を追い、玄関先で空を見上げている初代の隣で同じように顔を上げてみる。遙か高く広がる空はやはり綿のような白い塊に覆われていて、流星どころか月すらその姿を現せないようだった。
「…別に興味はねえけど、見えると言われて見えないと残念な気がするってのが悔しいな」
 睨むように上を見たまま腕を組んで呟く初代に二代目も「そうだな」と同意しつつ、静かに空を眺めた。少しずつ少しずつ流れていく雲が時々千切れて小さな闇が覗くが、そんな隙間に都合良く星が流れるわけもなく、すぐに蓋をされてしまう。そうしてその繰り返しをしばらく二人並んで眺めているうち、二代目はいつか聞いた話を思い出した。
 流れ星が消える前に願い事をすると、願いが叶う。いつどこで聞いた話だったか、この辺ではそんな夢のある話をする場所も人もないからおそらく幼い時に母親から聞いたのかもしれない。当時はきっとあれが欲しいとかあれが沢山食べたいとか子供らしい無邪気な願い事をあれこれ言ったに違いないが、今の自分にとって改めて考えてみると何があるだろうかと二代目は逡巡するも、これといって浮かばなかった。探していた仇もとっくに討ったし、手の届かないものは今はない。
 手を焼いているものならすぐ隣にいるがな、と二代目はちらりと横を見た。しかし手を焼いているとはいえ彼はいつもそばにいる。少なくとも、今は。
「…ダンテ」
 未だ空を仰ぐ初代の横顔を見ながら二代目はその名を呼ぶ。初代は声だけで「あー?」と返事をするが、いつまでも二代目が続けないので訝しげな顔を向けた。それを待っていたかのように二代目は柔らかく微笑み、軽く初代の顎を引き寄せて顔を寄せる。
 そして、どちらからともなく唇を重ね合わせようとしたその時だった。
「あ!!」
 唐突に初代が二代目を押し退けて素っ頓狂な声を上げる。一体何事かと目を丸くする二代目の視線と交わることなく彼の目は頭上に向けられていた。
「今流れた、星」
「何?」
 初代が指差すほうを二代目も見上げてみる。確かにそこには雲の切れ間から覗く空はあったものの、やがてすぐに閉ざされてしまった。もしかしたら今頃雲の裏では星の雨が降っているのかもしれないが、見たところ空を覆う綿は厚さを増して今や本当の雨すら降ってもおかしくないほど広がりつつある。
 これはもう駄目か、と二代目は少し疲れた首の角度を戻した。
「お前のせいで見逃したじゃないか」
「あんたが勝手に背中向けたんだろ。自業自得だぜ」
 何故か勝ち誇ったように歯を見せて笑う初代に二代目は問う。
「願い事はしたか?」
 唐突かと思われるその質問に意外にも初代はあっさりと「いいや」と言葉を返した。それも当然で、母の話を二代目が覚えているなら初代も覚えているはずであり、おそらく思い出したのも同時だったのだろう。
「ありゃ無理だ。見たと思った時にはもう消えてる」
「何を願うつもりだったんだ?」
 二代目が興味深そうに尋ねてみると初代はしばし首をひねる。
「そう言われてみると、特に浮かばねえんだよな」
 自分と同じその反応は予想通りだったが、二代目は徐に初代の肩を抱いて顔を覗き込んだ。
「おや、俺たちのことじゃないのか」
「…なんだよ俺たちのことって」
「さあ」
 恋仲の二人がいたら大抵はいくつか、多くは未来についてベタな願い事が思い浮かぶものだろう。自分から言い出しておいてわざとらしくとぼける二代目に「あんたはいつもそれだな」と初代が零すも、わざと核心を突かない性格はお互い様だった。そうしなくても通じ合う仲だと確信しているし、むしろ遠まわしで本音に触れることができる。
 初代は少しばかり呆れたような、しかしどこか挑発的な色を浮かべて二代目を見た。
「そんなのはな、多分お星様は叶えてくれないと思うぜ。お願いする相手が違うんじゃねえのか」
 とん、と二代目の胸を軽く押して「だろ?」と念を押す。さっきまでずっと空を見上げていた瞳はまっすぐに二代目を捉え、交わる強い視線に引き寄せられるように二代目は再びその距離を縮めていった。
「…そうだな」
 ならお願いしてみようか、と紡ぐ言葉はすぐに重なって柔らかな感触に変わる。遠く見えない星よりもこっちのほうが、唇や腕に感じられる温かな存在の方が何よりも信じられるに決まっていた。ロマンチストではないかもしれないが、確かな願いはここにある。
 そんな気持ちを見透かしたが如く、ぽつりと二代目の頬に冷たい雫が落ちた。
「…降ってきたか」
「こりゃもう見えねえな」
 分厚い雲が雨を呼んで鑑賞会の終わりを告げる。結局のところろくに流れ星を見ることはできなかったが、こういうものは何を見るかより誰と見るかがメインイベントなのかもしれんな、と二代目は満足そうに雲を見た。そして次第に増える水の粒を拭い取りながら、隣を振り返る。
「さて…寝る前に一杯、晩酌に付き合ってくれるか?」
「いいぜ、叶えてやろう」
 胸を張って答える彼に笑みを零し、二代目は我が家へ初代の手を引いた。