Seven Scenes

Don't make me sick!

 もともと無口と言われるほうだが、思えば今日は碌に言葉を発していない。喋ったのはせいぜいピザの注文ぐらいであとは殆ど一日中机の前に座っていたりソファで寝ていたり退屈な日だ。まあそれ自体は別に珍しくはない。
 いつも何かと俺に構ってくれるお喋りなあいつは起きてすぐ一番若いのと一緒に出かけていった。あれは意外と面倒見がよく3を弟のように可愛がっているし、3も子供扱いには不満のようだがなんだかんだで慕っているようだ。あの二人がいるとこの家は賑やかな声が途切れることがない。
 だが今はそのどちらもなく、代わりにジュークボックスが声を張り上げていた。俺もあいつもお気に入りの、最高にノリのいいロック。歌えばさぞかし気持ちいいだろうが俺はどちらかというと歌うよりも、あいつが軽いアレンジで口ずさむのを聴いているほうが好きだ。
 冷めたピザの最後の一枚を口に放り込み適当に読んでいた雑誌を持って俺はソファに身を沈めると、それを顔に被せて目を閉じる。寝ようが寝まいがどちらでもいい、主に活動するのは夜だからそれまではどうせほかにすることもない。その頃にはあいつも帰っているだろう。

 陽がすっかり落ちるどころか夜も更け行く頃には事務所のネオンサインを点け、俺は黒檀の机の前に座って待っていた。あいつ…いや、仕事の電話をだ。今のところ人探しが一件、浮気調査が一件、もちろんどちらも受けるはずはなく今夜もまだ仕事は来ていない。あいつの居場所探しや浮気調査ならやるんだがな…いや、冗談だが。
 はあ、と俺は己に対して小さな溜息をつく。たった一日いないあいつのことが頭から離れない。いい歳してこれではまるで恋患いではないか。いくら暇とは言ってもそれほどまで彼の存在は俺の意識の中に入り込んでいるのか、と考えるとやはりいつも側にいるダンテの姿が思い出される。もともと今の関係になる前から二人でいる時間は多かったから染みついているのかもしれない。俺はあいつみたいに意地っ張りじゃないから別に自分の気持ちを否定はしないが。
 などと考えているところに扉の開く気配がして、俺はすぐさま視線を送る。この家の同居人か滅多に来ない客かどちらかだが、そこにいたのは今朝あいつと一緒に出て行ったはずの3が一人佇んでいた。
「ただいまー」
 暢気な声で言うと小さく伸びをしながら背中の剣を抜く。そして何事もなかったようにシャワーを浴びに向かう3に、俺も努めて何気なく声をかけた。
「…一人か」
「ああ、二人で飯食ってたらちょうど四代目とばったり会ってさ。おっさんたちの晩酌に付き合いきれないから先に帰ってきた」
 呆れたように言い残してバスルームに消えていく若者の後ろで俺は小さく溜息をついた。どうしてこうタイミングがいいものか。あの二人が飲んでいるとなると、ちょっと飯を食ってくるというような時間では終わるまい。いつかも散々飲み過ぎたあいつを4が引きずって帰ってきたことがあった。
 ……。
 トントン、と指で机を打つ。
「まったく…」
 一日中こうして考えているのももう沢山だ。ついに俺は立ち上がり外へ出る。

 よく通う店に案の定赤いコートを着た二人の男はいた。最初に気づいたのは奥に座る無精鬚を生やしたほうで、俺を見るや軽く手を挙げる。
「よおボス、飲みに来たか?」
「いや…。そろそろ返してもらうぞ」
「へっ?」
 言うや否や俺は手前に座るダンテの腕を掴み、そのまま自分の方に引き寄せた。
「おい!?」
 強引に立たされ訳が分からず声を上げる彼には構わず、俺は呆気にとられている4の前に適当な金を置いてから店の外に出た。そしてそのまま家とは逆の方向へずんずんと歩いて行く。
「待てって、なんだよ!」
「狩りに付き合え」
 正直アテはないが、二人きりになるためなら嘘も方便だ。
「…仕事帰りの俺に付き合えってのかよ。スパルタだな」
「なら後ろで見ていればいい」
「はあ…?」
 納得いかない様子だが意地になる気もないらしくダンテは諦めてついてきた。というか、俺が引っ張ってるんだが。
「…なあ、わかったから、手…」
 気まずそうに背後から声をかけるダンテが言うのは、未だ繋いだままの二人の手。お互いグローブ越しだがその感触は確かに暖かく、俺は離すどころか何も言わず一層強く握ってやる。
 今日一日上の空で過ごさなきゃならなかった俺の空白を埋めてもらわないとな。
 ようやく手元に帰ってきたこいつを連れて、俺は遅いデートに繰り出した。

Catch me with mirrors

 俺は見覚えのある部屋にいた。夕陽の色、古びたベッド、鼻をつく埃の臭い、目の前には顔を歪めた女の像、そして俺の全身がすっぽり収まるほどの大きな鏡。映っているのは勿論自分の姿だが、その表面が僅かに波打つのを俺は見逃さなかった。何かを感じて後ずさっているはずが鏡に映る俺は微動だにせず…いや違う、彼は俺ではない。
「あんた…!?」
 銀髪に赤いコート。容姿こそ似てはいるが俺よりも一回り年上の、俺と同じ名前を持つ彼は、鏡の向こうからくぐり抜けてゆっくりと俺の方へ歩いてきた。
「…さあ、行くぞ」
 寡黙な彼らしく短く言うと俺の手を取って、自分が来た方へ――鏡のほうへと歩いて行く。
「っおい…!」
 鏡の中に足を踏み入れる彼に呼びかけるも反応はなく、俺の手を引いたままその身体の殆どは向こうへ入ってしまっていた。このまま彼と一緒に行くべきか。決断するにはあまりに短く、正確には、そのことすら考えてはいなかった。ただ反射的に俺は鏡に入りかけていた手を振り解いた。
「…!」
 彼が鏡の中で振り向いた次の刹那、その姿に無数の亀裂が広がる。待て、と俺が声を上げるよりも早く、鏡は鋭い音を立て粉々に砕けて足下に散らばっていった。そして目の前には何の変哲もない壁がただそこにあるばかり。
「ダンテ…?」
 冷たい壁に呆然と手を伸ばし、膝を折る自分の姿を俺は夢の中で他人事のように眺めていた。

 寝覚めは良くない。目が覚めて時間が経つにつれその映像は鮮明さを失っていくが、酷い夢を見たことは覚えている。
 クソ、と悪態をついて俺はベッドから起き上がった。下へ降りると彼はいつものように机の前に座って「おはよう」と声を掛けてくるが、俺は適当に返して碌に顔も向けずに洗面所へ入る。当然そこにある鏡は俺の顔を映すだけで、誰かの顔を映すことも割れることもない。ほんの少しだけ目が赤いのは…俺は泣いていたのだろうか。
 俺が手を振り払った時の彼の顔、あんな悲しげな表情を俺は見たことがなかった。いつか俺があいつの剣を受けて倒れたことがあったが、あの時とは悲しみの違う、失意の色だ。
 たとえ夢でも彼のあんな顔は見たくなかったな、と思う。冷たい水で顔を洗ってから部屋を出て、俺は静かに椅子に座るヤツの背後から抱き締めるように腕を回した。
「…どうした」
「なあ、もし悪魔が俺に化けてたらあんたは分かるか?」
 唐突な俺の行動と質問にも彼はいつものように穏やかな低い声を返してくれる。
「そうだな…キスをしてみるか」
「は、そりゃいいな。襲いかかってくるのが悪魔ってか」
「いや、逆だ。とりあえず大人しくされとくのが偽物で、口うるさく突っぱねてくるのがお前」
「…ふん」
 さすがよく分かっているというべきか、正直否定はできない。
 が、ふと俺は彼の顔を横に向かせると身を乗り出して唇を合わせた。
「じゃあ俺は偽物か」
 数秒押しつけただけのキスの後、意地悪に言ってみる。
 少しばかり意外そうな顔をしていた彼は俺の言葉に目を細めて微笑んだ。
「悪魔は自分からキスなんかしない」
 そう言って俺の顔に手を寄せて、今度は彼の方からもう一度口づけを交わす。俺がよく知ってる、いつものキスだ。
 あんたとなら魔界でも異世界でも、もし元の世界に戻ってもあんたが迎えに来てくれたら俺は迷わずついて行くと、今なら迷わず思えるんだけどな。
 訝しげな表情を向ける彼に俺は笑って誤魔化し、もうしばらくそうしてくっついていた。

Soft & Hard

 今日も二代目は真剣な顔で机の前に座っていた。ちらりと視線を向けたソファの上では初代が顔に雑誌を被せて寝ている。そこから再び視線を虚空に戻した二代目はやはり真剣な顔で考えていた。
 どうも最近、こいつに緊張感がない気がする。
 少し前までは、ソファの隣に座れば文句を言い、スキンシップを図れば文句を言い、キスをすれば文句を言い、ちょっと押しを強くしてみれば大騒ぎ、一緒に寝ようものなら二代目の一日分くらいの口数を要する舌戦を経なければならないほど、二人の距離は初々しいものがあった。しかし最近はどうだろうか?二代目はもとより初代の方も随分と二代目の好意を受け入れ、また表すようになった。それは勿論嬉しいことなのだが、一方で慣れのためか二代目が迫っても適当に流されることが増えた。
 良く言えば信頼されているということなのだろうと二代目は思う。なんだかんだ言って絶対に無理強いをしない、紳士的な男だと初代は思ってくれている。確かにそれは正しくて、二代目は少なくとも初代がイエスと言わない限りは一線を越えないつもりではいるが、だからといって聖人君子でもなく、いずれ今より先の関係に行くつもりであることを忘れてもらっては困る。
 二代目も初代に素直に好かれると和んでしまうのは確かだから現状のほのぼのとした相思相愛も心地良いが、とは言え強情な彼を攻略するのもそれはそれで楽しいものなのだ。勝手だと初代は怒るだろうが。
 二代目は再びソファのほうへ目を向けた。
「…ダンテ。そんなところで寝てると襲うぞ」
 いつもと同じ淡々とした口調で言うと初代は微かに鼻を鳴らして笑うだけで特に反応はない。なら実際に行動するかと二代目が腰を上げかけた時、彼がむくりと起き上がった。
「そうだな。仕事はなさそうだし寝るとするか」
 ふあ、と欠伸をして初代は立ち上がる。どうやら二代目の言葉を「寝るならベッドで寝ろ」の意味と捉えたらしい。おやすみと言って二代目の前を通り階段へ向かう初代を追うように二代目も立ち上がった。
「俺も寝る」
「そうかい。お疲れさん」
「お前の隣でな」
 二代目の言葉に階段を踏む足を止め振り向いた初代だが、二代目に促され渋々といった様子を見せながらも寝室へ向かう。何も言い返さないのはおそらくこの場合は眠いからだ。
 初代の寝室に入り、各々コートやグローブを脱いで寝る支度をしながら二代目は「おや」と目を留める。もともとコートを脱げば半裸の二代目に対し、初代は黒いインナーを着たままベッドに入っていた。
「それは脱がないのか?」
「寒がりなんでね」
 軽く答えて初代はおやすみと言って背を向けてしまった。普段から半裸どころか下着一枚で寝ることもあるくせに、一応はこの状況を意識してくれているんだろうかと期待しながら二代目は後ろから寄り添う。
「できればこっちを向いてほしいんだが」
「…なんで」
「そっちのほうが暖かいと思うぞ」
 言うや否や二代目は覆い被さるようにして強引に初代をひっくり返し、驚いた顔をしている彼の唇を自分のそれで塞いでしまった。慌てた初代が何やらフガフガと言えば言うほど二代目の舌は絡まり、深いキスになる。
「ッは…!なんの真似だ!」
 口を離した途端に喚く初代に二代目は朗らかに微笑んだ。
「おやすみのキス」
「寝られるかよ!」
 見事なツッコミを入れつつ「やっぱ向こうで寝る」とベッドから抜け出そうともがく初代を力で抑え二代目は楽しそうに笑う。
「そう怒るな。ほんの冗談むぶ」
 暴れる初代の手が二代目の顔にヒットした。折角の美形に酷いな、などと顔をさする二代目を初代は睨み付ける。
「俺は静かに寝るのが好きなんだよ」
「今はな」
 すかさず言い足す二代目に初代は何か言いたげに口を開きかけたが、もう寝ると言い直して再び背を向けた。彼とて二代目の言う意味が分からないわけはなく、何も言わず顔を隠すのはそれを自覚しているからだろう。
 二代目はいくらか安堵して、今度は優しく腕を回す。初代が服を着ているとはいえその温もりは充分にあり、二代目はふと笑った。
「…確かに着てくれてて良かったかもな」
「ああ?」
「理性の壁、といったところか」
 自嘲気味に言う二代目のあとで少しの沈黙が落ちる。
「…そういうのは言わなくていいんだよ」
 気まずさを誤魔化すようにぽつりと呟く初代の背中を優しく抱き締め、おやすみ、と二代目は目を閉じる。
 まあ、今はこれでいい。
 二人の微妙な距離が生む穏やかな温もりは、すぐに心地良い眠りを誘った。

Tarte aux fruits

 それぞれの時間を過ごしていた三人のダンテとバージルの視線が一斉に開いた扉へ向けられた。その中心、昨夜から出ていた依頼を片付けて帰ってきた二代目はその人数を一瞥し、土産があるぞ、と右手に提げた紙袋を見せる。
「珍しいな。なんだ?」
 あまり興味なさげなバージルはさておいて、机のほうへ向かう二代目を追ってダンテたちがわらわらと集まった。
「依頼人が良い家の有閑マダムでな」
 そう言って二代目が取り出した白い箱から現れたのは、色とりどりのフルーツが山のように煌めく手作りタルトケーキだった。おおすげえ、さすが熟女キラー2様とか奥様に何か変なサービスしたんじゃないだろうなとかやんややんやと歓声を上げるダンテたちを家の主は得意げに見回す。甘いものはお口に合うかしらと遠慮がちに差し出したマダムから喜んで受け取ってきた甲斐があるというものだ。初代が用意してくれた皿とナイフを受け取ると、二代目はさっそく目の前の大きな山を切り分けにかかる。
 やがて皆が注目する中、二代目の手によってそれは五等分…いや、五分割された。
「二代目…下手すぎ」
 見るからに不揃いにカットされたケーキを前に沈黙した空気の中を三代目の呟きが流れた。それに些かムッとした表情を浮かべた二代目は、一番小さなケーキの乗った皿を手に取る。
「よし、文句を言った奴はこれだ」
「えっ!」
 要らないなら無しだと凄まれた上に年長者二人のフォローもなく、三代目は絶望のうちにそれを受け取ってがっくりと肩を落とした。文句を垂れつつテーブルに向かう彼とその隣で「馬鹿め」と嘲るバージルをよそに、二代目は今度は一番大きなケーキの皿を手にする。
「俺の仕事だったんだからこれは俺の分だ」
「まあそれは仕方ねえな」
 初代と四代目も頷いた。ただ明らかにその大きさが全体の四分の一近くあるのはわざとじゃないのかと二人とも思ったが、先程の三代目への制裁を目の当たりにしては心の内に留めておくほかない。
「で、次は?」
 四代目が視線で促すのは二番目に大きなケーキだが、二代目はその皿を取ると迷いなく初代の前に差し出した。てっきりじゃんけん勝負かと拳を用意していた初代はぽかんとして顔を上げたが、当の二代目は微笑んで頷くばかり。戸惑う初代の横で四代目が「異議あり!」と声を上げた。
「おいおい、一家の長が特定の人物を贔屓するのは良くないと思うんだ」
「するさ」
 あっさりと断言されて固まる四代目の後ろでは外野となった三代目がひゅーひゅーと煽りを飛ばしている。
「ええと…いいのか?」
「ああ、お前に」
 特別扱いを受けて初代は照れたように頬を掻いたが、ほら、と促されて皿を受け取った。
「そっ…そうか、くれるってんならしょうがねえよな」
「はいはいツンデレ」
「お前さっきからうるせえぞ!来い、紅茶淹れるの手伝え!」
 騒がしくキッチンに消える初代と三代目を微笑ましく眺める二代目に、四代目は小さく溜息を吐く。
「世の中不公平だねえ」
「今頃知ったのか?」
 何食わぬ顔で宣う男に降参と言うように手を振り四代目は残った同じ大きさのケーキを2つ持ってテーブルのほうへ去っていった。過保護で困っちゃうよなと向かいのバージルに同意を求めるも「知るか」と一蹴されながら席に着き、二代目も満足そうにその場に座る。
 やがて全員分の紅茶を持ってきた初代と三代目も揃い、少しばかり不公平だが等しく甘い、賑やかなアフタヌーンティーが始まった。

Fullmoon falling

 初めて会った時の話をしようか。
 雲一つない闇に不気味なほど大きな満月が浮かぶ夜だった。そんな夜には魔界のモノが勢いづき、半分その血が流れる俺も例外ではない。無限にも思われるような悪魔の群れを蹴散らし、それでもまだ湧いてくることに高揚し、それは歓喜にも似た時間だったかもしれない。
 その時、俺は赤い影を見た。
 今までの悪魔とは明らかに手応えの違う金属音を響かせ、振り下ろした剣は見覚えのある銃で受け止められていた。地に座しながらも俺に銃口を突きつけている彼の青い双眸は驚愕の色を宿して大きく見開かれ、しかし口を開く前に周りの悪魔どもが咆哮する。俺には彼が何者なのかはすぐに分かったから、ひとまず他を片付けに向かった。彼も戸惑いつつもその銃を背後から迫っていた影に向け、赤いコートを翻して疾走する。その長い銀色の髪は月の光によく映えた。
「…あんた、俺のファンかい?」
 全てを葬り去った後、先に口を開いたのは向こうだった。軽口を叩くその顔には不敵な笑みが浮かぶものの手には銃が握られたまま、目は油断なく俺を見定めていた。
 見たところ、およそ10年前というところだろうか。目が隠れるほど長い銀髪、袖を捲り上げた真紅のコートの下には赤いベスト、背に負うのは雷を宿す魔剣アラストル。すべて懐かしいものばかりだ。
「いや…ファンよりもっと詳しいな」
「そりゃ嬉しいね。是非とも話を聞きたいもんだ」
「お前で二人目だ。ダンテ」
「…何者だ?」
 名前を呼ばれて彼の空気が張り詰めるが、さすがに仕掛けては来ない。俺は無害の意志を示すように剣を背中に収めた。
「ダンテだ」
「ドッペルゲンガーか?」
「いや、違う。ここはお前の世界じゃない」
「ハ!そりゃ凄えな。じゃあ何か、あんたの世界だってのか」
「正確には、未来のお前だ」
 俺の言葉にダンテは沈黙する。他人とは思えない男が目の前にいる以上、戯れ言と一笑に付すことはしないが、やはりそう簡単に信じてはいないようだった。彼の鋭い視線は俺の容姿や得物を忙しなく駆け回る。
「…その剣と銃はどこで手に入れた?」
「知ってるだろう」
「おいおい答えになってないぜ」
「魔界を通ってきたか?」
「は?」
「あそこは空間と時間が歪んでいる。お前は出口を間違えてここへ来た」
「そんなゲームみたいな話を信じろって?」
「お前で二人目だと言ったろう。家に帰れば分かる」
 そう言って俺は踵を返した。家には少し前にここへやって来た、こいつより更に過去の年若い俺がいる。未だ信じ切れていない様子のダンテは少しばかり迷っていたが、やがて俺のあとを付いてきた。
「未来と言ったな。あんた何歳だ?」
「42」
「…12年後か…」
 ダンテは前に来て興味深そうにしげしげと俺を眺めて続ける。
「…まあ悪くはねえな」
 評する彼に俺は「それは光栄だ」と口元を綻ばせた。

「悪くないなんて俺言ったかあ?」
「言った」
 グラスの氷を鳴らしダンテがけらけらと笑う。あれからもう随分経った。隣に座る恋人はジントニックを一口飲み込み、何かを思い出すように少し上の方に視線を置いて語る。
「俺は初めてあんたを見た時、一瞬…」
 しかしそう言ったまま言葉をやめたので彼を見ると、なんとなく照れくさそうな顔で俺から目を逸らした。
「なんだ?」
「いや、なんでもない」
「なるほど、一目惚れか」
「んなわけあるか。…一瞬、親父かと思った」
「…親父…」
 それは誇らしいことなのだろうが、曲がりになりにも今こうして恋人と呼べる相手に言われるとなんだか複雑なものがある。そんな俺の心境を察してかダンテは慌てて手を振った。
「一瞬だって」
「そうか…だがそれは忘れていいぞ。口説いてる時に親父を思い浮かべられちゃ敵わんからな」
 俺としては真面目に言ったのだが、ダンテはまたけらけらと笑った。まったく、自分のことなのに分かっているんだろうか。
 そしてひとしきり笑った後でダンテは俺にグラスを向けて言う。
「乾杯」
「何に?」
「今夜は随分お喋りなあんたに」
「…満月だからかもな」
 コツ、と差し出されたそれにグラスを当てる。
 二人の出会いに。
 そう言った俺の顔を見、少しの間を置いて頬を緩ませたダンテは、悪くねえな、と言った。

By your side

 いつもより少しばかり暗い部屋の外では雨がしとしととスラムの街を濡らしている。そんな陰鬱な天気につられてか机に向かいながらうとうと船を漕いでいたあいつは、つい先程「寝る」と言い残して自分の寝室へと消えていった。ちなみに時刻は昼の2時。昼寝と言うにはあまりにぴったりすぎる時間だ。
 俺は一人電話番をしつつソファで寛ぎながら見るともなしに点いていたテレビのチャンネルを回し続けていたがやがて消し、少し考えた後あいつが机の上に置いていった雑誌を手に取り再びソファに座る。折り目の付いているページが何かと思えばただのお手頃不動産情報だった。うたた寝をしている間にたまたま折れたのだろうと気を取り直して最初のページからめくろうと雑誌を閉じた時、階上の扉から足音がして顔を上げる。
「なんだ、随分と浅い昼寝だな」
「いざ寝ようとすると寝られん」
 苦い顔をしながら階段を下りてきた彼は隣に腰を下ろしたかと思えば無駄のない動きで身体を倒し、ごろりと俺の膝に頭を乗せて寝転がった。
「…おい」
 あからさまに咎める声を降らす俺をよそにこいつは何度か頭の位置を変え、一番収まりのいいところを見つけると満足そうに落ち着いてから言う。
「背が高いもんでな」
「そうかい。なら場所譲ってやるよ」
 そう言って立ち上がろうとする素振りを見せると彼は俺の膝を押さえてまあまあと制した。
「少しぐらいいいだろう。子守歌を歌えとは言わん」
「歌って寝られちゃ困るからな」
 即座に言い返す俺に彼はくすりと笑ったがそれきり何も言わず、二人の間に沈黙が落ちた。彼の横顔は殆ど髪に隠れていて表情を窺い知ることはできず、またこのまま雑誌を読む気にもなれないしまさかこいつの髪を撫でて過ごすなんてこともするはずがなく、手持ち無沙汰になった俺は適当な話をし始める。世間話から仕事の話、家人の話など、とりとめのない話だがいつものように彼は静かに相槌を打ちながら聞いていた。もともとお喋りの上に悪魔狩りなどを生業としていると妙な話題には事欠かない。
 しかしちょうど先日こなしてきた珍奇な依頼と悪魔の話に入ったあたりでこいつの相槌は減り始め、間もなくして全く聞こえなくなったことに気づいた俺は話をやめて下を見た。
「…おい?」
 試しに呼びかけてみるも案の定応答はなく、膝の上の男は規則正しい呼吸を繰り返すだけだ。
「寝てんじゃねえか…」
 寝られないと言って寝室から戻ってきたくせにこいつ、人の話の途中であっという間に眠りに落ちやがった。気を許している証拠とはいえ、わざわざ人の膝の上で眠りこけるなんて下敷きにされたほうは動くに動けない。かと言って叩き起こすほど俺も薄情でもない。
 まったく、世話のかかる奴だ。俺はなるべく下半身を動かさないようそっと手を伸ばしてソファの背もたれに掛けてあった自分のコートを掴むと、またそっと広げて彼にかけてやった。あまり動かせないため上半身しか上手くかけてやれないが仕方ない。
 これ以上ないほど無防備な彼の重みと温かさを膝に感じながら、俺はしばらくの間僅かに髪の間から覗く横顔を眺めていた。その跳ねた銀髪に触れ、しかしすぐに我に返って横に置いていた雑誌を手に取る。
 膝を貸してやるのもこれを読み終わるまでだからな。
 心の中で言い聞かせ、それまでは電話など鳴らないよう願いながらゆっくりと表紙をめくった。

Good ending

 真っ青に晴れた空から部屋の中へ光が眩しく差し込む麗らかな午後だった。いつものように机の前に座る俺も今日は清々しい窓の外を眺める回数が多い。まだ風は少し冷たい季節だが開け放たれた窓からは澄んだ空気の匂い、そして聞こえるのは軒先で手合わせをしている1と3の硬い刃が打ち合う音だ。こんな和やかな日はデビルハンターとしては退屈で仕事にならない。だがとても心地良いのは俺が歳をとったからだろうか。
 ふと気がつくとさっきまで響いていた剣のぶつかり合う音は消え、代わりに談笑する声が僅かに聞こえてくる。特にすることもなく暇だからなんとなくそちらのほうに耳を傾けてみると、どうやら映画か何かの話をしているらしかった。
「…って、初代なんでそんな詳しいんだよ」
「それはな、観たからさ」
「観たのかよ!早いなおい」
 ああ、新作のあれか。この前一緒に観に行ったからな。と俺は心の中で勝手に参加してみる。
「ひょっとしてデート?」
「…なんだっていいじゃねえか、映画観るくらい」
 どう考えたってデートだろう。相変わらず素直じゃない奴だ。
「いつも思うんだけどよ、二代目と何話してるんだ?」
「あ?何って、普通の…」
「いやいや、だって二代目だろ。もし俺が二代目と二人で出かけたら…とその空気を考えるだけで恐ろしい」
 なんだそれは。まったく人をエイリアンか何かみたいに言ってくれる。確かにあいつらに比べたら無口の部類だろうが彼らの話を聞いているのは嫌いじゃないし、喋らないからと言って機嫌が悪いわけでもないし、取って食ったりもしない。
「はっは、お前あれを何だと思ってるんだ」
 俺の相棒はさも面白そうに笑う。お前は俺をどう思っているのか個人的に詳しく聞きたいところだが。
 その後の会話はよく聞こえなかったが、しばらくすると賑やかな笑い声が近づいてきた。
「あーあ、やっぱたまには喧嘩でもしてくれないとつまんねえよなー」
 などと言い放ちながらドアを蹴って家の中へ入ってきた3が俺の前を通りしなに「なあ?」と言い置いていくから、俺は努めて訳が分からないというふうに目を瞬かせる。
「…何の話だ?」
 3に続いて戻ってきた1に向かって聞いてみるものの彼は何も言わずただ微笑み、そして俺のほうへやって来ると机の上に腰掛けた。いつになく柔らかな表情を浮かべるその横顔につい見とれていたら視線に気づいた彼がもう一度俺に笑いかけてくれるから、俺もつられて顔が緩む。
「…引っかき回してやりたい」
 俺たちの様子を後ろから覗いていたらしい3の呆れたような呟きが聞こえた。
「何?」
 振り向いて聞き返す俺に3ではなく横の1がわざとらしく声を張って言う。
「なんでもねえよ。そうだこの前観に行った映画のラストだけど、あれ…」
「わー!」
 いきなりネタばらしを始めようとした1の声を遮って3は慌てて耳を塞いでバスルームへ消えていった。隣を見ればしてやったりという顔をしたダンテが悪戯っぽく笑っていて、俺は改めて尋ねる。
「映画のラスト?」
「そ。最近の映画は小難しいこと言ってすっきりしねえと思ってよ」
「まあ、そうかもな」
 そういえば一緒に見たあのヒーロー映画も、正義と人間社会の板挟みになった主人公の苦悩が最後まで重い余韻を残したラストシーンだった。一応映画のテーマは理解できるが、見終わった直後にこいつが一言「辛気くせえ」と言い放ったことに笑った記憶がある。
「俺は映画くらいスカッと終わるやつが好きだね」
「ふむ…現実ではどうなんだ?」
「そりゃまあ、できればハッピーエンドに超したことはねえよな」
「…そうか。努力しよう」
 言い聞かせるように頷く俺をダンテは目を瞬かせて見たが、すぐに「へえ、」と面白そうに口の端を吊り上げる。
「主人公は?」
「同じ名前でややこしいがな」
 そりゃそうだと笑うダンテと一緒に俺も笑った。王道を行くならば主人公とそのパートナーは結ばれるのだから、俺たちはどちらが主人公でも構わない。それに、誰かにつまらないと言われようと今のところほぼ順調なこのシナリオは気に入っているんだ。
 こいつもそう思ってくれていることを願いつつ、俺は静かに席を立つとダンテの隣に腰掛けて肩を寄せ、彼と短いキスをした。