諸刃の剣

 その一瞬は何が起きたのか分からなかった。
 夕日が沈んで月が低く姿を現した頃、ダンテと共に無数に湧く悪魔の相手をしていた。すばしっこく跳ね回るブレイドの群れ。取るに足らない相手だ、頭数はあれど苦戦することはない。目の前の獲物を砂に帰し、それと同時に背後に現れた気配と咆哮を迎え撃つべく振り向きざまにリベリオンを振るった、次の瞬間に俺の剣は悪魔ではなくダンテの胸を貫いていたのだ。
 声を上げることもなく彼の手からアラストルが離れるのとそれが両断していた悪魔が四散するのは同時だった。
 自分の顔から一気に血の気が引くのが分り、力なく膝を折るダンテを支えた俺の腕はみるみるうちに温かく鮮やかな赤に染まっていった。

「大袈裟だって」
 ベッドの上に横たわったダンテが、胸に巻かれた包帯を弄びながらぶつぶつと言っている。
「俺を誰だと思ってんだ」
 そう言いながら上体を起こすものの小さく顔を歪めた。半魔の回復力ゆえ血は殆ど止まっているがまだ滲むくらいには包帯も必要だ。
 あの後俺は気が動転していたのかよく覚えていないがとにかくアラストルの協力もあって残党を速攻で片付け、応急措置をした彼を抱えて一目散に飛んで帰ってきたのだった。意識はあり俺の腕の中でも気丈に振る舞ってはいたがやはり傷の重さは隠せないほどだったから、彼が何と言おうとしっかり手当てをしておいた。
「は…さすがあんたの剣だ。そんな簡単に塞がらねえか」
 苦笑するダンテと少し離れた椅子に俺は腰掛ける。自慢するわけではないが俺の魔力を纏う剣だ。そこらの悪魔がつけた傷とはわけが違うはずだ。
「…すまない」
「だから謝ることねえって」
「俺の不注意だ」
「いや、余計なフォローするつもりで俺が勝手に突っ込んじまったんだ。なあ、そんな顔するなよ」
 多分俺は今ひどく暗い顔をしているのだろう。ダンテは困ったように頭を掻いた。
 彼は本心からそう言ってくれているのだが、それと俺の気持ちは別だ。
「…お前を殺したと思った」
 座ったまま俯きがちに吐露する俺を彼は静かに見つめている。
「お前が死んでしまうと」
「刺されたくらいで死なねえよ。分かってるだろ」
 ダンテの言葉に俺は小さく頭を振った。もちろん彼の言うことは分かっているが、俺は間違いなく悪魔を葬るための剣を振るったのだ。それが彼を貫いた時、そして崩れ落ちる身体を支えたとき、俺は身体中から恐怖が沸き上がるのを感じた。それは闇よりも深い、愛する者を失う恐怖だ。
「すまない」
 命はあるものの、自らの手で斬ってしまったことは事実で、俺にとっては許し難いことに変わりはない。
 俺の謝罪に今度はダンテが首を振る。
「頼むからもうやめてくれ。俺は何も気にしちゃいねえしあんたが責任感じることじゃない。それ以上謝ったらブン殴るぜ」
「それもいいかもしれん」
「っあーもうお前は!ッてて…」
 勢いよく身を乗り出したダンテだが傷に響いたらしく胸を押さえて呻いた。俺は咄嗟に手を伸ばしかけ、しかし彼に届く前に躊躇ったまますぐに引っ込める。
 俺たちは手足がちぎれたくらいでは死なないが、痛みは普通の人間と同じようにある。仕事柄慣れているにしても文字通り死ぬほど痛い傷でも耐えるしかない。息を詰めていたダンテはふうと溜息をついた。
「ったく、あんたのそんな顔見るくらいなら死んだ方がよかったぜ」
「ダンテ」
「なあ、俺を斬った時どんな感じだった?やっぱり悪魔と同じだったか?」
「…!」
 いくらなんでもなんてことを言うんだ。俺は鋭い視線を返して諫めると、ダンテは僅かに肩を竦める。
「冗談だって」
「…不謹慎」
「悪かったな、本人がちっとも懲りてなくて」
 そしてずるずるとベッドに身を沈め一息ついたあと、首を傾げてまっすぐに俺を見た。まるで心も見透かすような澄んだ青い目が真摯に俺を捉える。
「で、いつまでそんな遠巻きに見てるつもりだよ。お見舞いのキスくらいしてくれないのか?」
 心なしか苛立っているようなダンテの言葉に俺は瞠目しながらも、何か胸のつかえがとれた思いだった。そうか、俺はこうして、また彼に触れることを許されるのを待っていたのかもしれない。椅子から立ち上がって、俺を待つように差し伸べられた手を取って、本当は抱き締めたいところだが上から軽くダンテの頬とこめかみに口づけを落とした。そして不満げに「違うだろ」と小さく言って寄せてくる唇に押しつける。
 幾度と繰り返し重ね合わされるキスが小さな音を立てて離れた時には、乾いていた俺の唇もすっかり柔らかくなっていた。
「…ダンテ」
「ん」
 額と額を合わせたまま俺は言葉を紡ぐ。
「何か欲しいものはあるか」
「ピザとストサン」
 全く迷いのない即答に思わず苦笑するとダンテもにんまりと笑った。
「でも傷はもうすぐ塞がると思うけど」
「いい、休んでいろ」
 くしゃりと髪を撫でて俺は立ち上がる。別に病気ではないが一応毛布もかけてやった。俺は踵を返し、部屋のドアに手をかけたところで背後からダンテの申し訳なさそうな声が届く。
「…あんたのコート、破いちまったな」
 視線の先は俺の裂かれたコートの裾。応急処置のために使ったのだが、さしたる問題ではない。
「布ならいくらでも買える」
 そう言いながらドアを開けたところ、扉の外には不意をつかれたらしい顔のアラストルが立っていた。俺が何か言う暇もなく逃げるようにばたばたと階段を下りて行ってしまう。どうやら主が心配でこっそり様子を窺っていたらしいが、あれも意外と可愛いところがあるものだ。俺に対しては警戒しているようだが。
「どうした?」
 突然動きを止めた俺を不審に思いダンテが声を掛けてきたので、いや、と答えて俺は振り向いた。
「言い忘れていたが、アラストルがよくお前を守ってくれた」
「ああ、なんとなく聞こえてた」
「そうか。いい剣だな」
 俺の言葉に誇らしげに笑ってみせるダンテを残し、静かに部屋を後にする。

 あいつの好物を買って帰る頃にはすっかり傷も塞がって完治しているかもしれないが、美味いものを食べて眠ってしまいたい。いつも一緒に寝ようと言うと小うるさいあいつも今日なら大人しく聞いてくれるかもしれない…などと俺も俺で不謹慎だなと自嘲した。
 階段を下りると、アラストルは剣の姿に戻って何事もなかったかのようにいつもの場所に鎮座していた。出てこいと言っても出てこないだろうが、思えばこういった態度は主に似たところがある。
「あの時は助かった。見に行ってやれ」
 あくまで独り言のようにさりげなく言い残して俺は家を出る。空の月は高く昇って夜を照らしていた。
 閉まる扉の後ろで微かに階段を駆け上る音を聞き届け、破れたコートを翻し俺は道を急いだ。