Puzzle
俺は悩んでいた。
俯き、眉間に皺を寄せ、首を傾げ、時折うんうん呻いて、真剣に悩んでいた。
しかしなかなか答えは浮かんで来ず、もうかれこれ10分くらいこうしている。たかが紙の上に印刷されたクロスワードパズルに10分だ。悪魔退治より時間がかかるとはいかにも俺が体力馬鹿みたいで気に入らないが否定できないとも言えなくもない。
いやそんなことより今はこれだ。頭の中をもやもやが充満して掻き毟りたい衝動に駆られているが実際そんなことはできないし、かといってもともと気が長いほうでもないからいつまでも黙っちゃいられない。これ以上意地を張っていても得はないと判断した俺は一人の戦いを中断し、隣に腰掛けている奴に援護を求めることにした。よく俺とパズルの戦いを横から邪魔してきては閃きの喜びを掻っ攫っていくこいつならきっとこの答えも分かるだろうと踏んでの最終手段だ。
「なあ、これ…」
なんだっけ?と問題を指で指し示しながら俺は隣を向いた。優雅に珈琲を啜っていた奴は俺の要請に応じて紙面に目を落とし、ほんの少し考える素振りを見せた後で顔をあげる。俺もつられて視線を上げて答えを待っていると、不意に奴の顔が近づいた。
ちゅっと小さな音と柔らかい感触が押し付けられて、それはほんの一瞬ではあったが去った後にほのかに広がる珈琲の味…ってそんなのはどうでもいい。
「………何だ今の」
「キス」
「…ああ。で、なんで今した」
「したくなったからした」
身も蓋もなく言い放って何事もなかったように再び珈琲を味わい始める。
なんだこいつ。俺はまるで珍獣を見る目でそれを眺めていたが、そのわざとらしいくらい涼しい顔に誤魔化されるほど俺は単純じゃない。
「…分からないならそう言えよ」
「勝手に決め付けるんじゃない」
「よう見栄っ張り」
「そうは言うがな。お前は10分考える時間があったのに俺は10秒か?」
珍しくあからさまにムッとした表情を向けてきた。やっぱり分かってないんじゃねえかとかなんで俺の悩ましい時間まで計ってんだとか色々ツッコみたいところだが、まあこいつの言うことも一理ある。
「OK、じゃあ10分な」
俺が猶予をやると満足そうに頷いた。答えも知りたいけどこうなると言い訳の果ての10分後のこいつの反応を見てやりたい気もする。いずれにせよどちらに転んでも俺は楽しいだけだがな。
それまで別の問題でもやってるかとページをめくろうとしたら、隣でシンキングタイム中の奴がなにやら俺の肩に手を回してくる。それくらいなら大して気にしないところなのだが、向こうに引き寄せようとしてくる力に俺はまた顔を上げざるを得なかった。しかも予想してたより相手の顔がやたらと近くにあって少々面食らい、反射的に後ずさる。
「な、んだよ」
「10分くれるんだろう」
「それとこれが何の」
関係があるんだよ、と続けようとしたものの正に有無を言わさず塞がれてしまった。それもまたさっきと同じくらい短くて、俺が彼を押し返すよりも早くその唇は自ら離れていって緩やかな笑みの形を作る。だが俺が疑問の続きを口にしようと開きかけたところでまた合わされて、以下繰り返しだ。ようやく発言ができたとしてもヤツからの返事は全て接触でもって返されてまるで話にならない。
何なのか知らないがまさか10分間これを続ける気じゃないだろうなとすこぶる悪い予感がしたので流石に、いい加減にしろと奴の胸板を押し返しつつ後ろに下がろうとしたのがいけなかった。いつの間にか背中にしっかりと手を回されていたため逃げるどころか一緒に倒れこむように迫られて、狭いソファの上で逃げ場をなくした俺はすっかり動きを封じられて囲われてしまう。
パズルの答えを聞いたはずが助言どころかますます難問になって返って来たと言うべきか、なんでこうなってるのか全く理解できない。が、たぶん俺にとって一番近くて大きな問題であるこいつのことは10分だろうが10時間だろうがいくら考えても分からない気がする。そう思うと我ながら物好きな悩みを抱えてるもんだ。
それは置いておくにしてもせめてまずこの紙の中の問題を解決したいのだが、少なくともあと9分はこいつにあげてしまったからこれもまだ先になる。
やれやれ、仕方ないから一時休戦にするか。臨機応変に戦い方を変えることも大切だからな。
俺が観念したちょうどその時を見計らったように、頭上の影が落ちてきた。