お風呂上り
丑三つ時もとうに過ぎスラムも眠りに就こうとする頃、デビルメイクライもそろそろ閉店だ。半魔とて睡眠は必要、24時間営業とはいかない。
濡れた髪を拭きながら白く曇るバスルームから出ると、俺がシャワーを浴びにいく前までそこにいたもう一人————俺より一回り年下のダンテの姿が見当たらない。
彼も切り上げて自分の部屋に戻ったのかと思いきや、視線を落とせばソファの上でやや小さく収まって眠っているダンテがいた。先ほどから眠そうにはしていたものの、ちょっと歩いて階段を上がればベッドに着くというのに、いつでもどこでも寝るのだから困ったものだ。
「おい。こんなところで寝るな」
この程度で半魔が風邪をひくとは全く思わないが、まぁお約束みたいなもので俺は一応気遣ってやる。軽く肩を揺すりながら顔を覗き込んだ拍子に、俺の濡れたままの髪から水滴がぽたりと彼の頬に落ちた。
「…んぅ、冷た…っなんだよ…」
「寝るならベッドで寝たらいい」
反射的に頬の水を拭い煩そうにダンテが顔をしかめる。あー、とか唸りながら彼がむくりと起き上がったのを視界の隅で捉えつつ俺はその横に腰掛けた。
シャワーから出たばかりでまだ熱く何も着ていない上半身に落ちる水滴は殆どが肩にかけたタオルに吸い取られてゆく。風呂上りの一杯、ビールでも持ってくればよかったかなどと思っていると、ふと横から手が伸びてきた。
何事かと思えばダンテが無言のまま肩のタオルを手にして俺の頭をがしがしと拭き始めた。拭くと言うにはいささか乱暴すぎるが目的はそれだろう。どんな風の吹き回しかと思いつつも別に悪い気はしないから好きなようにさせていると、あちこち水滴が飛び散ったのではないかと思うくらい暫く揉みくちゃにされた後、手を止めたダンテがしげしげと俺の有様を眺めた。
「…なかなかワイルドな中年だな」
その通りだが中年は余計だ。
乱された髪の毛で前もよく見えずおそらく鳥の巣のような頭にされながらも俺はいつものように切り返してやる。
「惚れ直したか」
「いや全然」
これもまたいつものようにダンテは素っ気無く即答し、今度は手で俺の髪を梳き始めた。自分でボサボサにした髪を整えながら、さっきとは違って丁寧にタオルで拭いてくれる。
ほんの気まぐれにしろこいつが自らすすんで俺の世話を焼くなんて珍しいこともあるものだ。さっきああ言っておいて何だが、ゆらゆらと僅かに頭を揺らす手に身を任せて目を閉じるとここで眠ってしまいそうになる。
「今日は随分優しいな」
「俺はな、見かけによらず優しい男って評判なんだ」
…どこらへんが?と言いたいところだがツッコミ入れるのも悔しい気がしてひとまず俺は閉口した。
まあ実際それは否定しようと思わないが、こと俺に対する態度は決してその評判の限りではないから問題だ。いつもこうなら納得してやってもいいというのに残念ながら現実はレアケース。俺も俺で何かと煽りたくなる性格ではあるものの、どちらにしてもこいつが年中意地を張っていることは変わりない。
すると俺の沈黙を無言の抗議と取ったらしく、勘の鋭いダンテは手を止めた。
「…俺そんなに凶暴か?」
しかも意外と真面目に訊いてくる。正確に言うと凶暴というより天邪鬼なだけだが、まさか本人から面と向かって尋ねられるとは思っていなかった俺は可笑しくてつい吹き出してしまった。
一方のダンテは笑われたのが気に障ったらしく少し乱暴にタオルを剥ぎ取り、なんだよ、とあからさまな不満の色を滲ませて俺を睨みつける。
「いや。気にするくらいなら普段からもう少しお手柔らかに願いたいな」
「身に覚えがないね。たとえば?」
「そうだな…。たとえば、今夜お前のところに寝に行っても蹴らない殴らない文句を言わない」
「その裁判は俺の勝ちだな。いい歳して一人で寝ろっていう全会一致だ」
間髪入れずさっそく文句を言い返してくる条件反射はいつもながら大したものだ。こいつの頭の中では俺の言葉はまず否定しろというルールがあるらしい。
「いい歳でも優しくしてもらいたい時があるんだぞ」
せめて恋人にはな、と至って素直に異議を主張してみるとまるで気味が悪いとでも言いたげに顔を歪められた。
反対に俺は微笑みながらずいっとダンテのほうへ身を乗り出していけば彼も同じくらい後退する。
そのままじりじりとソファの端へ追い詰めていこうとしたが、それより前にダンテが手にしたタオルを俺の顔面に押し付けてきて止められてしまった。さすがの俺も呼吸できないと苦しいのでここは大人しく身を引くことにする。
「どうせ窒息させる気ならタオルじゃなくて…」
「俺は御免だね、そんな間抜けな死に方に巻き込まれるのは」
俺を押し戻す動きそのままにダンテは立ち上がり、溜息をつきながら俺の前を通り過ぎてスタスタと歩きだした。
「あとそっちこそ風邪ひくぜ?」
「どこへ行く」
「優しい俺はあんたを殴りたくなる前に寝るんだよ」
わざとらしく大きな欠伸をしてひらひらと手を振る。
おや、今日は上手くかわされてしまったか。
てっきり何かしらうるさく言ってくるかと思っていた俺は少し甲斐無く思いつつ、もし風邪引いたら看病ぐらいはしてくれるのだろうかと考えたが、そもそも風邪の引き方を知らないから望みは薄そうだ。
やれやれ。諦めて服を着るかと立ち上がりかけた時、階段に向かっていたダンテが「ああ、」と思い出したかのように呟いた。何かと顔を上げれば、ビシリと俺を指差して一言、
「髪。ちゃんと乾かして来いよ」
そう言い残してさっさと階上へ姿を消していった。
…これだから勝負は最後まで分からないものだ。
どっちが勝ちなのかは、俺も知らないがな。
いずれにしろどうやら風邪を引く努力をする必要はなさそうだ。