Sweet!
妙にカップルの姿が多いとは思っていた。どこからか聞こえた「ハッピーバレンタイン」の言葉に今日がその日であることを思い出し、ダンテは納得するとともに小さく溜息を漏らす。適当に食事を済ませて帰ろうかと思っていたが、カップルや独り身同士の集まりに混ざるのはどうにも気が進まない。
目ぼしい酒だけを買って帰ることにした道すがら、遠くに見えてきた自宅の明かりがついている。なんとなく足を速めて扉を開けた先には、ここ3日ほど出かけていたトリッシュが座ってダンテの読みかけの雑誌を弄んでいた。
「帰ってたのか」
二人分は心許なかったから買ってきてよかったと思いながら酒を棚に並べていく。
「実はまだなの。ちょっと訊きたいことがあって寄ったんだけど、隣町の――」
「おいおい待ってくれ」
まるで用が済んだらすぐに出ていくといわんばかりの勢いで矢継ぎ早に話し始める彼女をダンテは制した。
「今日がバレンタインだから帰ってきたんじゃないのか」
「バレ…何?」
目を丸くして訊き返す。これがわざととぼけているなら相応の大人の対応で返してやるところだが、こういう場合の彼女は至って真面目だ。人間界に来てだいぶ経つとはいえ、世俗の習慣、特にダンテが関心を持たずに過ぎ去るような事柄に関しては疎いところがある。
ダンテはソファに腰を下ろすと手招きをし、やってきた彼女を促して膝に座らせた。
「バレンタインデーと言って、恋人と一緒に過ごす日だそうだ」
端的に説明する。由来など知らないし興味もなかったからそれしか言いようがない。
「そんなの誰が決めたの」
「俺もそう思う」
ドライな感想にダンテが同意すると、トリッシュは笑った。
「言ってることが矛盾してるわよ」
「それが自分でもよく分からないが…」
自覚があるから歯切れを悪くして頭を掻く。それを見たトリッシュはダンテの首に腕を回し、続きを待つように顔を覗き込んだ。察しのいい彼女のそういうところが、まあつまり、あれだ。
「ちゃんと言って」
優しく促され、ダンテもまっすぐに彼女を見る。
そう、何も難しいことはない。言うべきことはただシンプルなことだ。
「ここにいてくれ」
少なくとも今夜は。
交わる視線の先で、トリッシュが青い目を細める。
「いるわ」
そう静かに答えて微笑んだ。
多少の気恥ずかしさはあれど、軽く身をもたれる彼女の柔らかな温もりが全てを報わせてくれた。最近はなかなかじっとしていないその存在を離さないよう、しっかりと抱きとめる。
が、不意にトリッシュが何かを思い出したようにダンテに向き直った。
「恋人って言った?」
「そこを掘り返すのか」
「だってそういう日なんでしょ?」
苦く笑うダンテと対照的にトリッシュは無邪気に言い返す。
バレンタインと言い出したのは自分ではあるが、これは思いもよらず甘い言葉を囁かなければいけない展開になったか?ダンテは思案するも、どうなのよとせっつかれて彼女を見れば、蠱惑的な赤い唇に誘われる。
まあ、今日くらいはそんな努力をしてもいいかもしれない。短い感触のあとで、ダンテはトリッシュの耳元に口を寄せた。
(2021.02.13)