時を磨く
始まりはいつもの気まぐれだった。よく晴れた昼下がり、トリッシュがゴミを出すと言う。主に空の酒瓶とかピザの空箱とか生活ゴミから始まり、清々しく晴れた空気のせいか次第に手を広げてあれこれ不要なものを集め始める。それを遠巻きに眺めながら口だけ出していたダンテが、いつしか本気になって加勢する。ああでもないこうでもないとついには家具を動かしたり外に出したりして珍しくも掃除までしてしまい、そうして事務所はずいぶんすっきりした。
「ここが最後の難関ね」
とっくに日が暮れて暗くなっているが、もとより地下にあるこの部屋には関係ない。二人が見渡す先、乱雑に置かれた奇妙な物体の数々がオレンジ色の柔らかな照明に浮かび上がっている。魔具、記念に持ち帰った悪魔の残骸、仕事の経緯で使った道具、トリッシュがどこからか手に入れて暇潰しに読んだ怪しい本など、つまるところ物置きと化している部屋だが、ダンテいわくこの家に住んで一度も片付けたことがない。
「あー、大体捨てていいな」
「だめよ、ちゃんと分別して」
はいはい、と適当なところに座り込み、作業に取り掛かってほどなくダンテが愉しそうに口笛を吹いた。
「おい、これ覚えてるか?たしかお前が来てすぐの頃だったな」
彼が手にしているのは手のひらほどの大きさの、一見すると黄色と緑色が入り混じる美しい宝石だ。ただしその周囲には鋭い歯のようなものが列をなしており、何の器官か分からないがそれは悪魔の一部である。
「覚えてるわ。あんな最悪なことなかったもの」
見るや否やトリッシュはすぐに苦い顔をした。人間と毛虫を合体させたようなすこぶる気色の悪い見た目のその悪魔は、死に際に気色の悪い体液を盛大に撒き散らし、二人はまともにそれを浴びてしまったのだ。ノーバディの失敗作のような種類だが、あれよりはるかに格下だろう。
「あれは強烈だったぜ。緑色でドロドロで、たまに固形物が…」
「だから私は言ったのに、誰かさんが話を聞かずに突っ込んでいったせいで」
「聞く前に倒されるあいつが悪いんだよ。ってあの時もこうやって喧嘩したな」
「帰ったら帰ったでどっちが先にシャワー使うかでモメたわね」
「今なら一緒に入るんだがな」
「それはどうかしら」
ヘイ、と抗議の声を上げるダンテをよそにトリッシュは更に奥のほうへ目をやると、膝をついたまま四つん這いで移動する。彼女にしては珍しく横着な恰好だが、既に服のあちこちを埃で汚している今は気を払う意味もない。
「このへんは?見たことないものばかりだけど」
彼女が指す一帯は他より一層厚い埃をかぶっている。なるべく舞い上がらないよう慎重に拭きとられてようやく見えたそれらの姿に、ダンテは記憶を辿っていった。
「ああ、だいぶ昔のもんだ。この便利屋を始めた頃くらいか」
「どんな事件?」
その中のひとつをトリッシュはしげしげと眺める。鉤爪の形をした漆黒の刃。悪魔の一部ではないが、僅かながらも湛えている形容しがたい魔の力は彼女の興味を惹くようだ。
「そいつは…って、いちいち喋ってたら進まねえぞ」
「いいじゃない、聞きたいわ。昔のあなたの話」
鉤爪を器用にくるくると回しながらトリッシュはダンテの隣に戻ってきた。
実際急ぐわけでもなし、予定のある生活をしているわけでもない。新月に近づく今の時期は悪魔も比較的おとなしく、夜は静かなものだ。
「まあ、いいか。でもその前に…」
言うと同時にダンテの腹が鳴った。思えばこの大掃除を始めてから何も食べていない。ぐぐぐ、と堰を切ったように主張を始めるその音に応えてトリッシュは笑った。
「じゃあ何か持ってくるわ」
「酒は多めに頼むぜ。長くなりそうだからな」
軽く埃を払い、了解、と言い残し彼女は上への階段を上って行った。
さて何からどう話そうか。ダンテは自分の記憶を組み立ててみる。この手の昔話など誰かに話したこともなければ話す気もなかった。魔界や悪魔のことに関して詳しい彼女なら聞き手としてこれ以上の相手はいないだろう。褪せた過去の経験に新しい色が塗られるような予感がして、ダンテはひとり笑みを零した。
ふと視界の隅に光が見える。それを塞ぐ山を掻き分けてみれば、そこにはほのかに青白く輝く石。
魔光石。マレット島から持ち帰ったその魔界の石はすっかり変異し果てて光を失ったかと思っていたが、どういうわけか弱弱しくも再び闇を照らしていた。
「…気が利く奴だ」
これも気まぐれか。思い出話のムードとしては、悪くない。
今となっては温かくすら感じるその青白い光が絶えないよう優しく手で覆う。たった一つの石に彼女のコメントが早く聞きたかった。
開け放されたままのドアの向こうから聞こえる足音を待つ間、過去と今をつなぐ沢山の懐かしいがらくたの数々が、今少し光を放った気がした。
(2020.02.05)