フォルトゥナ再び

 あの事件以来立ち入り禁止となっているフォルトゥナ城は、ひっそりと静まり返っていた。
 あちこち崩れ落ち大穴が空いた無残な傷跡は応急措置の補強を施しただけでほとんどあの時のままだ。この城をどうするか、魔剣教団の意義と犯したことを勘案して賛否両論の議論の末に一応は修復が為される結論に達したものの、今は住宅や市街地の復興が優先されていてこちらの主無き城の再建はまだ遠そうだった。ネロにとっては城も教団に関する施設も取り壊して構わない忌むべき代物だったが、やはりこの地に古くから根付いている神スパーダへの信仰ゆえに、組織的な形でなくとも拠り所を求める人々が多いのも事実だ。
「ああ、あったわ。確かこれに…」
 フォルトゥナ城の一室、蔵書室。
 手持ち無沙汰で興味のない本の背を眺めていたネロはその声のもとへ足を向ける。数ヶ月前に自分がここで暴れたまま床に散乱している本を避けながら、この蔵書室の中でも一番面白くなさそうな、専門的な資料などが収められている本棚を覗き込んだ。薄暗い一角に声の主――トリッシュが手にした書物の頁をパラパラと繰っている。
 彼女が突然ネロのもとを訪ねて来たのはおよそ二時間前のことだ。なんでも、教団に潜入していた時に見聞きした中で気になっていたことがあるのだという。それを調べるためにはるばる来たというから、多少は戸惑いつつも「フォルトゥナの英雄」が顔を利かせて立ち入り禁止のこの場所に連れて来たのだ。仮にネロの協力がなくても彼女ならどうにかして侵入することは容易いのだろうが、わざわざ顔を出したということはなんらかの意図があってのことだろう。
「何か重要なことか?」
「教団が作った地獄門のこと。あれだけじゃないみたいね」
「なんだって!?」
 思わず身を乗り出すネロとは対照的に、トリッシュは紙面に目を置いたまま続ける。
「と言っても、廃棄された試作品だけど」
「それ、やばいのか?」
「さあ、見たことないから何とも言えない。でも本物の地獄門が開いた影響がないとも言い切れないでしょうね」
 教皇サンクトゥスの計画はごく一部の上層部しか知らない最高機密だった。そこへ至るまでもあらゆる試作や実験を繰り返していたのであろうことは想像に難くないが、一介の騎士であったネロにはもちろん知る由もないし当時は興味もなかった。完成品として稼動していた地獄門はダンテに破壊されたものの、ほかにあるという失敗作が動いていない保証はどこにもない。教団の技術力がどれほどかというより、スパーダが遺したとされる魔の門が開いた影響がどこにどう現れるかは人間界の法則が及ぶところではないのだ。
「どこにあるんだ?」
「海の底」
 はっ、とネロの口が開いた。ここ最近ずっと頭の隅にひっかかっていたことが急に輪郭を結んで浮かんでくる。
「だからか!」
「心当たりがあるの?」
「時々海辺のあたりに湧くんだよ。海から上がって来てるとは思わなかったけど、あの件以降のことだから気になってた」
「予想は当たりそうね」
 もっと早くに調べればよかったとネロは思い至りそうになったが、見当もつかないことには調べようがない。試しに目の前にあった書物を開いてみても聞いたことのない単語ばかりが並んでいてすぐ閉じた。この手の研究開発はほとんどアグナス一人で取り仕切っていたらしいから、狂気じみた天才であった彼が亡き今となっては再興はおろか理解できる者もいないだろう。もちろんその必要もない。いずれにしろ原因が分かったとなればあとは得意分野だ。
 ほかにあるのかそれとも単なる興味なのかトリッシュはまだ資料を指で追っている。後ろの本棚に軽く背を預けて目を落とす様は傍から見れば女優かモデルかと思うような美貌の女で、とても便利屋など酔狂な商売をやっているようには見えない。
 ネロはトリッシュとほとんど面識がなかった。かつて一度だけ二言三言会話した時の彼女は教団幹部の一人グロリアであり、今とは全く別の人物に「変装」していた。最後に見た時には今の姿でダンテの傍らに立つ彼女を教皇が「グロリア」と呼んでいたがあの時はそれどころではなく、後に何人もの住民から黒い服を着た金髪の女に助けられたという話を聞いて(人によってはでかい銃を担いだ黒髪の女だったという証言もあったが)ようやく事情を察した程度だ。数時間前に本人が来て思い出し、本名も知ったばかり。二人きりではどうにも間を持て余す。
 ふとネロは自身の右腕を意識した。初めてグロリアに会った時と同じように今も右腕は反応を示している。人ではない存在が近くにいる――そう教えているが、ネロは何も訊かなかった。人間と悪魔の境界は血ではないことを、あの事件で知った。
「…本を読む女が珍しい?」
 視線を感じたらしいトリッシュが言う。それほどまじまじと見ていたわけではないが意識はしていただけにネロは少したじろいだ。
「あ、いや…印象が全然違うな、あんた」
 その「印象」に思い当たったトリッシュは「ああ、あれ?」と一笑して顔を上げる。
「あなたの好みではなかったようだけど、説得力はあったでしょう?新入りで幹部になったあやしい女。ダンテが大うけしてたわ」
 確かに変わった女ではあったが何がどう受けるのかはよく分からない。それはともかくとして、彼女の口から出た名前のついでにネロは切り出した。
「その…ダンテは、元気か?」
「会いたい?」
 そういう風に言われると何か違う気がする。
「別にそういうわけじゃねえけど」
 にべもなく言い放つと、なぜかトリッシュは面白そうに笑った。
「あの人と同じこと言うのね。照れくさいものなの?男同士って」
「しらねえよ!」
「そうそう、念のため言っておくけど一人で来たのはダンテが来るの嫌がったからじゃないわよ。私が勝手に来たの」
「だからなんだよ」
 意外と人の話を聞かねえなと思いながらもつい口答えをしてしまう。
「よかったじゃない、呼びつける口実ができて」
「は?わざわざ呼ばなくても…」
 悪魔絡みではあるがいつものよくある退治と調査だ。いくらなんでも素人ではないし自分一人で十分、助勢なんか必要ないとネロは反論する。するとトリッシュは「でも」と手にした資料を見せ、廃棄場所周辺の地図らしき図面を指差して言った。
「水の中で戦ったことはある?」

フォルトゥナ再び(2)

 ネロの家からトリッシュが掛けた電話はだいぶ一方的だったから本当に来るのか怪しいものだったが、翌日彼は言われたとおりちゃんと来た。
 よく晴れた昼下がり、迎えに出向いたトリッシュとともに集合場所のカエルラ港にやってきたダンテはネロの姿を認めると軽く手を挙げた。相変わらずの赤いコートが海風に靡く。一応住民たちにはネロから、あの日教皇を襲撃した赤いコートの男はいち早く教団の悪事に気がついて助けてくれた恩人だと説明はしているから恐れられることはないと思うが、それでも目立つものは目立つ。
「よう坊や、思ったより早い再会だな。元気だったか?」
「それなりに忙しくしてる。殆ど商売になってないけど」
 照れくささがないとは言わないものの、数ヶ月前と変わらぬ調子の彼と対面してネロは自分で思っていたより素直に答えた。ダンテは満足そうに、はは、と笑う。
「金にはならない仕事さ」
「する気がないだけでしょあなたは」
 まるで言葉を繋ぐように自然なまでのタイミングで入ってきたトリッシュの突っ込みにダンテは口を開けたまま顔をそちらへ向けた。
「俺は今の坊やの状況を…」
「で、それが水中戦闘用の?」
 何か始まりそうだったのでネロは話を遮ってダンテが持ってきた大きな銃を見た。マガジンから伸びる弾帯には銃弾というより矢のような太い針が連なっている。
 これが、わざわざ彼を呼び寄せた理由だった。水中での活動だからといってネロが泳げないわけではない。それ用の武器がなかったのだ。
「ああ、ニードルガン。間違って俺に刺さないでくれよ」
 一言付け足してからダンテはネロに手渡した。ネロはそれをしげしげと眺め、
「なんか埃被ってねえか?…その変なやつは?」
 そう視線を移した先には、ダンテが左手に持っている――というよりは左腕に嵌めていると言ったほうが正しいが、銃なのか定かでない異形の物体。ダンテの二の腕まで隠しているその黒い塊はいわば巨大なナメクジとかウミウシとでもいうような曲線的な形状をしていて、その表面には奇妙な文様が浮かんだ殻のようなものがいくつも張り付いて全体を覆っている。はっきり言って趣味が悪い。
「こっちはナイトメアγっていって、魔界のレーザー銃だ」
「魔界の!?大丈夫なのかよそんなの使って」
 思わず半歩後ずさる。正体を知ると余計に禍々しく見えた。
 ダンテは当たり前に言ってのけるが、ネロは魔界を知らない。スパーダの故郷だとか悪魔はそこから来ているとか事実としては知っているし、実際に地獄門を通じて悪魔が大挙してこちらの世界へ渡ってくるのを見た。しかし行ったこともなければ想像もつかない異世界だった。そもそも行くとか行かないとかいう発想もない。少なくとも住みたい場所ではないだろうことだけは分かるが。
「威力の代わりに消耗が激しくてな。負担を最小限にするために出力を落として…まあ色々と改造してある」
 ギュイン、と音を立てて殻が動いたかと思えば先端から銃口が現れる。滑らかでどこか生物的な動きはやはりこの世の技術ではない異質さがあった。
「こっちがいいなら貸してやるぜ」
「…やめとく」
 ネロは苦い顔をして首を振った。無傷の左腕をあれに委ねるのはなんとなく気が引ける。何を動力にしているのか知らないがそもそも使えるかどうかもわからない。
「お前はどうするんだ?」
 ダンテが自分のやや後ろに立つ相棒を振り返った。
「私は他にもいくつか気になる場所があるから見てみるわ。あれを含めてね」
 遥かに佇む、今は真っ二つにされた巨大な漆黒の板を目で指した。教団がいくつも作ったレプリカのオリジナル、真の地獄門。
「平気か?」
 ダンテの台詞が意外だったのかトリッシュは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、
「ホームシックとは無縁なの。知ってるでしょ」
 すぐに微笑に変えて言う。
「だからここは二人仲良く水入らずでやって」
「はっは、そりゃいい」
 なにやらダンテがウケている。
 ああ「水」を掛けてたのかと気が付きつつネロは借りたニードルガンを背負ってみたり構えてみたりした。片手で自由に扱うブルーローズとは使い勝手が違う。ましてや水の中とあっては、ダンテの言う通り一発や二発誤って彼に当たってもしょうがないかもしれない。どうせ当たったところで大して痛くないんだろう。
「使い方は分かるよな?」
 後ろでしばらくトリッシュと何か話していたダンテがやってきた。
「それより息が続くかのほうが問題なんだけど」
「そりゃあ10分や20分…」
「はあ!?化けもんかよ」
 ネロの直球な物言いにダンテはさも愉快そうに笑う。
「相変わらず言うね。俺は嫌いじゃないが、友達いないだろ?」
「うるせーよ!」
 これでも以前より他人との関わりはずいぶん増えた。ネロ自身の態度というより周りの目の変化が大きかったとはいえ、頼りにされることも多いし、怖がられることもないとは言わないがかなり減った。それを誰より喜んでいるのがキリエだったが、一方で口の悪さは別問題だとよく注意されている。
「何、5分で片付けりゃあいい」
 軽く言ってダンテはすたすたと桟橋へ向かう。現場周辺までは船を頼んである。
 普通は5分でも続かねえんだよと小さく突っ込みつつネロもそれに続いた。

 フォルトゥナの海は比較的浅く潮流も穏やかだ。ポイントが分かっていれば「ゴミ捨て場」を見つけるのにさして苦労はしない――というより見逃しようがなかった。そこはさながら古代文明の遺跡のようだった。大小様々な試作品の地獄門がざっと数えて十数枚、砕かれているものもあれば殆ど無傷の状態のものまで、崩れた石柱の如く海底に沈んでいる。小さいとは言っても人の背丈をゆうに超える大きさの、しかも不思議と藻の類が全く付着していない漆黒の板が並ぶ様は、なるほどここからなら悪魔でも何でも出てきてもおかしくないと思わせる異様な空間だった。
 一見無機質で静かな光景だが、ここへ辿り着く前からネロの右腕は反応している。近くにいるのは間違いない。注意深く意識を向けながら板と板の間を泳いでいたその時だった。
(…!)
 視界の隅に動くものを捉えたネロがニードルガンを構えたと同時に何かが赤い軌道を描いて飛んでくる。咄嗟に撃ち出した針はその何かとぶつかって明後日の方へ飛んでいくが、向こうもまたネロに当たることはなく、その先にはトカゲに似た悪魔がゆらゆらと浮かんでいた。頭には兜、片腕は盾で武装している。体をくねらせて泳ぐそれの動きを油断無く追っていると、体勢を整えた悪魔の指先に四本の鋭い刃が出現する。
(爪か!)
 この悪魔は血を流しながら自分の爪を飛ばしていたのだ。ネロは再びそれを撃ち落とし、そのまま追撃で数発撃ち込む。水中での動きはあちらのほうが速い。姿を見失わないようにある程度の距離を保ったまま着実に爪を弾き、反撃していく。
 そうして二匹ほど始末したところで、石列を挟んだ向こう側で数条の光線が迸った。ネロと反対側へ行ったダンテも戦っているらしい。あれが魔界の銃だというナイトメアγのレーザーかと物珍しげにネロが見ていると、そのうちの一条が石版に反射して角度を変えて向かってくる。慌てて身を屈めた頭上を全く減速することなく通り過ぎた光線は、ネロの背後に迫っていたらしい悪魔を一撃で貫いた。
(あっぶねえな!)
 おそらく助けられたのであろうことは隅に置いておいて、柱の横から顔を覗かせたダンテにネロは思いっきり身振りと顔で抗議する。呑気に手を振ってんじゃねーよ反射するんなら最初からそう言っとけよと表現したつもりだが果たして伝わったかどうかは分からない。
 敵の行動はおおよそ見えた。銃のリロードと同じことで一度爪を飛ばすと当然次に爪を生やすまでは何も出来ず、ならばそれを撃ち落すか避けるかしてしまえば一方的に攻撃する機会が出来る。向こうはこちらの行動を見定めるなんて知能は持っていないから、機動力に注意しさえすればワンパターンで苦戦する相手ではない。
 …のだが、ネロとしても悠長に相手の攻撃を待っているわけにはいかない。待っている間にも酸素は消えていくのだ。
(となると、やっぱりこれか)
 ネロの右腕、悪魔の腕<デビルブリンガー>が青白い光を放ちながら敵に向かって伸び、捕らえる。水中では叩き付ける場所がないため地上と同じような追撃はできないが、そのかわりにネロは引き寄せた悪魔の腹に直接ニードルガンを当ててゼロ距離の連射を叩き込んだ。視界が真っ赤に染まる中、同胞の血に誘われたのか新たな一匹が現れ、それもまた同じ末路を辿っていく。
 やがて一掃されたのかあたりに悪魔の影はなく、右腕の反応も消えた。あとはここに残る地獄門の失敗作を砕いていけばいいわけだが、その前にネロは一度息を継ぐべく海上へ向かう。
「っはー!!」
 するとダンテも上がってきて顔を出した。
「情け容赦ないなお前」
 ネロの戦いぶりを見ていたらしいが、なぜか少し引いている。
「容赦する必要ねえだろ」
「それはそうだが…。お前に顔をボコボコに殴られた時から思ってたけど」
「なんだよ」
「鬼畜」
「上等だね」
 きっぱり言い放ってネロは再び潜っていった。今度はあの板を存分にボコボコにすべく。
「誰に似たんだか…」
 苦く笑うダンテが仰ぐ天には、抜けるような青が広がっていた。

フォルトゥナ再び(3)

「もともと『魔』に近い土地のようね」
 紅茶を一口飲んでトリッシュが言った。
 彼女はネロとダンテが仕事を終えてしばらくの後、陽も大分傾いた頃に戻ってきた。あの事件の痕跡をいくつか見回ってきた分には人為的要素での問題はなさそうだったのはいいとして、それとは別に、ここの地相は表裏の均衡が脆いと言うべきか、魔が溶け出す空気のようなものを感じる――そう彼女は話した。
「ええ、それは昔から言われているようです」
 キリエが相槌を打つ。トリッシュとは昨日会っているが、ダンテも来ると聞いて手伝っている孤児院の仕事を早めに切り上げて待っていてくれた。
 ここフォルトゥナの「魔力」の話はネロも聞いたことがある。かつてスパーダが治めた地という伝説に箔をつけるために出来た単なる迷信だと思って真面目に捉えていなかったが、トリッシュが言うからには事実なのだろう。だからといって人体に悪いとかいうのではないらしい。ただ他の地に比べて「出やすい」のだと。
「スパーダがいたからか、それとも元々そういう地だからスパーダが治めたのか?」
 まあ今となってはどっちでもいいけど、と付け加えてネロはシフォンケーキを口に運ぶ。フォルトゥナ特産のレモンをたっぷり使ったそれはキリエの十八番だ。彼女の母親から受け継がれる、ネロにとっては家庭の味でもある。
「あんな物騒なもんほったらかしておくくらいだから前者でもあり得るな」
「あれを新しい観光名所にしようという動きもあるんですよ」
 キリエが少し困ったような口調で言う。あんな大惨事からほどなく、地獄と観光というおおよそ似つかわしくない展開にダンテも苦笑した。
「逞しいねぇ。そのうち魔界見物ツアーなんて言い出さなきゃいいが」
「あまり取り上げて欲しくないんだけどな。なんか俺が斬ったっていうことになってるし…」
「まあ、そういうことにしておいてもらえると助かる」
 ネロ自身もそう思って噂話のままにしていた。ダンテの素性を詮索されてはまずい。神と崇められているスパーダの実の息子の存在が明るみになったら大騒ぎになって、担ぎ出そうという人間が必ず出てくるだろう。ダンテ本人はとてもじゃないがそういう柄じゃないと言ったところで、伝説の魔剣士スパーダの息子という血は否応なしに神格化されるものだ。もちろんネロがその血族であることも知らせてはいない。幸いあれを斬った閻魔刀は教団所有からダンテを経て今はネロが持っているから、辻褄を合わせられないこともない。実際にダンテのように斬れるかどうかは別として。
「じゃ、そろそろ帰ろうぜトリッシュ」
 唐突にダンテが席を立った。彼がフォルトゥナへ来てまだ数時間、てっきり今夜は一泊するのかと思っていたネロはつられて立ち上がる。
「なんだよ、ゆっくりしていけばいいだろ」
「フォルトゥナのピザは口に合わないんだよ。どうにも物足りなくてな」
「はあ!?」
 なぜいきなりピザの話が出るのか理解できず困惑するネロをよそに、ダンテはキリエに向かって
「でもこのケーキは絶品だったぜ」
 ついでにウインクひとつ。
 やめろいい歳したおっさんがそういう仕草をするなと言いたかったがキリエが嬉しそうに「ありがとうございます」と笑っていたのでネロは黙った。今日の短い時間だけ一緒にいてやはりまだこの男のペースにはついていけそうにないと改めて思う。もしかしたらいちいち取り合うだけエネルギーの無駄なのかもしれない。
「あーと、それから…」
 言い淀みながらダンテはちらりと横を見る。あからさまな催促にトリッシュは「しょうがないわね」とでも言いたげな視線を返して口を開いた。
「小さいほうの地獄門のことだけど、本体や周辺の装置には宝石なんかも含めてかなり希少な石や素材が使われているの。その筋では相当な価値のある、ね。いくつか回収して外に置いておいたから、売るなり武器の材料に使うなりするといいわ。何かと入用でしょうから」
「いいのか?あんたらも…」
「ガラクタは家に腐るほどある」
 それでは価値があるのか無いのか分からない言い様だ。しかし魔剣スパーダをはじめ様々な魔界の武器を所持しているらしい彼らにとっては本当にガラクタ同然なのかもしれない。正直なところ、復興に加えて便利屋を始めたばかりのネロにとって今はいくら資金があっても足りないくらいだったから、思わぬ報酬はありがたかった。

「それじゃあ元気でな」
 フォルトゥナの美しい夕陽が空も街も鮮やかなオレンジ色に染めている。ネロと同じ色をしたダンテの銀髪も燃えるような夕焼けを映した。
「ああ、その…そっちも」
 この前と同じように別れの挨拶は簡単なものだった。それでもこうして再会できたのだからきっと次もそう遠くない。そんな不思議な確信を感じながらネロはその背中を見送る。
 もっと大事な、訊いて確かめたいことがあったかもしれない。看板の礼も言いそびれてしまった。それも次の機会か、またはずっと先でもいい、今は急ぐ必要はなかった。ついこの前まで何もなかった自分の「縁」があると分かったから、いずれ時が来るのを待ったっていい。手を伸ばせば届くのだから。
「ネロ」
 不意にキリエに呼ばれて振り向けば、彼女の目線の先――家の裏手に例の報酬が、少なくとも「いくつか」程度の量ではなく木箱に詰められていた。行商でもするつもりかと言われそうなくらいである。
 こんなにかよ、と叫ぼうにも既に二人の姿は遠かった。なにやらダンテがトリッシュに小突かれているのが見えるが、やがて宵に沈みゆく街並みに消える。
「またお世話になっちゃったね」
「…そうだな」
 まったく、これじゃあ助けられっぱなしだ。
 今度は俺が向こうへ行ってみようか。そう思い描きながらネロは『Devil May Cry』のネオンサインを点灯させた。

(2018.08.07)